宮本百合子の作品2

 思わず地声で高く言ったみや子は、紛らすように顔をそむけて咳払いをした。彼女はむせたような、ややわざとらしい低声で云った。
「日下部も元気なようでも年でございますから、近頃はよく日曜にかけて気楽に暖い海辺にでも参りたいと申すのでございますが――矢張り手頃なところはもうちゃんと何方かがお約束でございましてね」
「本当に――お国元ももう少々近うございますとよろしいのですが」
 みや子はやがて、空想に浮ぶ沼津の風光の美しさに我知らず恍惚したように呟いた。
「沼津あたりはさぞおよろしゅうございましょうねえ、上つがたのお邸さえございます位ですもの。――年をとりますと不相応な我ままが出まして、宿はどのように鄭重にしてくれましても何処となし落着のないものでございます……」
 子爵夫人は、蒼白い気の優しい顔にぼんやり同情とも困惑ともつかない表情を浮べた。彼女は暫く黙っていたが程なく独言のように呟いた。
「若し……」
 みや子の夫人に向った一方の耳はむくむくと大きくなって行くように鋭く次の言葉を待ち受けた。が、みや子は、凝っと何も心づかないらしい静粛を守って睫一つ戦かせなかった。夫人はつづけては何も云わない。みや子のうつむいた前髪はこの時彼方にいる良人に向って、
「今何か云い出してはいけませんよ。夫人は私共に大事なことを思いつけかけていらっしゃるのです」
と警戒しているように見えた。

 とにかく、米国人は一般からコムマーシャールの方を多く持ち、日本人は名人気質の方を持っているように私には思われました。そして、米国では日本なぞよりも執筆者が数からいっても割合からいっても遙に多いが、その執筆者も或る雑誌が買ってくれているから書いているので、その雑誌が買わなくなれば今度は他の雑誌へ問い合わせて買う約束が纏まればやはり書きもするが、どこでも買わないとなるとその人は執筆の方の為事はやめてしまいます。そういう人の方が多いようです。そこへ行くと、日本人にはその作品がなっていようがいまいが、他人が買おうが買うまいがそんなことはおかまいなしに、ただ書かずにいられないから書くという心持からその為事に没頭する気質が強いように考えられます。
 今私が言おうとする青年の同人雑誌にしても、彼方ではそういう風船玉みたいな気軽い陽気さで、つまり口笛を吹けば皆んなが集って一緒に騒ぐというようなところが本質的なものとなって、やっているのです。強ちそれが悪いともいえませんけれども、文学というものを、一般が単純に「趣味」という範囲に限られた心持で考えているということは、申されましょう。
 私のいたニューヨークに、昔オランダ人が上陸した当時から開かれたガリーンウィッチ・ビレージと云う街があります。そこは芸術家の多く住む気取った一区画として知られていますが、そこの若い人々が出している『プレー・ボーイ』という同人雑誌などは、あちらの新らしい、先へ先へ行こうとする所謂「若い芸術家の群」の気分を示していると思います。詩、絵、短篇小説類を集めた大判の雑誌で、それを見ると、彼等の陽気さ、活気、或る時には茶目気をふんだんに感受することが出来ますが、英国で嘗て、ビアーズレー、エーツ等の詩人、画家が起した新運動等は、これらの同人雑誌から期待することは出来ません。

「日は輝けり」は一九一七年一月に発表された。大都会のゴタゴタのなかで、生活と闘いながら自分を成長させようとしている一人の青年を中心に、一つの家族を描こうとした。作者の未経験が許す限り、リアリスティックであろうとしている。けれども、今日の読者は、発見するだろう。この一生懸命で濃厚な作品に、本質的な未熟さとしてあるのは、庶民の生活感情と勤労者の生活感情とのちがいについて、作者がちっともわかっていないという点であるということを。
「一つの芽生」は、弟の死という事実に面して、その悲しみをどこまでも客観的に追究し、記録しておこうとする熱意によってかかれた短篇である。今日、よみかえしてみて興味のある点は、この短篇が、死という自然現象を克明に追跡しながら、弟をめぐる人間関係が、同じ比重で追究されていないところである。これは、なぜだったのだろう。
 生きる歓喜にむせぶような心もちの少女が、死の迫って来る力、生命の消されてゆく過程に、息をのんで凝視したこともわかるが、しかし、人間関係が二次的に扱われたことに、意味ふかい限界が示されている。十九の少女は、自分の日々がその中で営まれている環境の内部にある複雑な家族関係とその感情、弟の短い生涯を悲劇的にした家族制度の因習ということには、とりくむ実力をもっていなかったことが、この短篇に語られているのである。
「貧しき人々の群」「日は輝けり」などで、環境をとび越えられそうに見えた一人の少女の生活と文学との現実の過程は、「一つの芽生」に暗示されている環境そのものから来ている無力と未熟さによって、ひきもどされ、更にきびしいもみ合いに向わせられたのであった。